年季の入った店舗、間口3〜4メートル余り。
赤いのれんが、昼下がりの裏通りに翻る。
ここは、山陰の街、益田駅近く。
オットがのれんをくぐり中へと入る。
私もその後を続く。
暗い。電気が付いてない・・・
カウンター席8席、4人掛けのテーブル二つ。
奥の古びたテレビからは昭和特集の番組が、何かをがなりたてている。
その下に、石油ストーブがひとつ。
間には、ひとりじいちゃんが座っている。
そのじいちゃん、
白い毛糸の帽子に、白っぽいセーター、
チェックのパジャマのズボンのようなものを胸の下まで上げている。
その下には、長靴。
一瞬、このお店、開いているのかと、疑問に思う。
すると、
店の電気が付いた。
奥から、おばちゃんが出てくる。
「さっき、電話した人?」
ここは、うなぎ屋。しかし、うなぎの匂いがしない・・・
「うなぎ、できますか?」と私。返事がない。
もっと大きな声で、
「うなぎ、できますかぁ!!!」と。
毛糸帽のじいちゃんが、
「うなぎ屋じゃもん、うなぎ、あるよね。」と。
カウンターのガラスケースの中に目が行く。
串に刺された、ぶりぶりしたうなぎに目が行く。
その皮は、変な例えだが、生きたさんまのような黒と銀色。
その身は、新鮮な鰯を割いたときのような、ピンク色。
うなぎの質がいいことだけは、見てとれた。
再び、毛糸帽のじいちゃん、
「何にする? うな重、旨いよ〜!」
はっと我に返り、オットと二人席に着き、
壁に貼ってある、年季の入った手書きのメニューを見る。
うなぎ、松竹梅となっているお店が多い中、
ここは、うな丼、うな重、うなぎの白焼き、これしかない。
どれにしようかと、思っていると、
毛糸帽のじいちゃん、アゲイン。「うな重、旨いよ〜ぉ・・・」
オットと顔を見合わせ、お互いうなずく。
「うな重、二つ」
ストーブの前から立ち上がった、じいちゃん、
歩幅10センチにて、カウンターの向こう側へと回る。
おぼつかない足取りに、大丈夫かな…と一抹の不安が・・・
いきなり、湯のみが二つ、ガン、ガン、とオットと私の前へと。
おばちゃんが、黙って、湯のみを置いた。
次、あちこちぶつけたアルミの急須が、テーブルへと。
ガタンッ、って置くものだから、急須の口からお茶がこぼれる。
このおばちゃん、怒っているのかな・・・って、不安に。
ガラスケースから出されたうなぎ、じいちゃんが焼き始める。
おばちゃんは、奥に引っ込んだまま、出てこない。
ニット帽のじいちゃん、うれしそうな顔をして、
「うな重、旨いよ〜ぉぉぉぉお〜」と繰り返す。
「どこから、来たぁ・・・?」
「広島からです。」と言うと、いきなり、
おばちゃんが、背後から、
「ここは、広島からの人が多いんよ。後は、大阪、東京のお客さん!
みんな、わざわざ、うちのうなぎを食べにくるんよ!」
手には、10センチ四角の皿に、漬物が盛りだくさん。
オットと私の分、ふた皿がテーブルの上に、またまた、
ガン、ガン、と置かれた。
お茶をすすりつつ、ラッキョウを食べてみる。おいしいラッキョウだね。
おばちゃん、再び登場。
「たれ、うなぎのたれ。足りんかったらかけなさい。
お湯はポットに入っているから、ねっ。」
オット、アルミのぼこぼこ急須に湯を継ぎ足す。
ふた度、長靴じいちゃん、
「うな重、もうちょっとでできるよ。旨いよ〜ぉぉぉぉぉぉ〜。
50年、うなぎ焼いてきているけんね。」
ここのじいちゃん、ちょっと、いえいえ、かなり耳が遠い。
狭い店内なのだが、バスケットコートのあっちとこっちで話すみたいに、
大声で、話さないといけない。
じいちゃんが、合図を出す。
おばちゃんが、ごはんを入れた四角いプラスチックの重を、
じいちゃんのもとへと運ぶ。
じいちゃん、肝吸いをお椀に注ぐ。
おばちゃん、それをテーブルに、やはり、ガン、ガンと置く。
あまりのガンガンに、椀の蓋はずれ、中の吸い物が外にこぼれる。
ここのおばちゃん、テーブルの端にしかものを置かない。
ここで気が付いた。手がうまく使えないのだ。
肝吸いを自分たちの前によけ、うな重が、ガン、ガン、と置ける、
そのスペースをテーブルの端に作る。
うな重が、ガン、ガン、と置かれた。
奥から、じいちゃんが、白い髭を触りながら、再び、
「うな重、旨いけんねぇぇぇ〜。
多かったら、残して持って帰ったらいいよ。」
一人前、二匹分のうなぎが載った、豪華うな重。
一口食べてみる。
旨い〜ぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・・・!
「すごくおいしいです!!!」と言うと、
「うな重、旨いからねぇぇぇぇぇ・・・」とニコニコ顔のじいちゃん。
さて、このころから、おばちゃんの機嫌がダントツよくなった!
そして、まあ、しゃべるわ、しゃべるわ、ここの店の歴史がわかった。
じいちゃんは、板前一筋の大阪の人。
なんでも、京都の一流料亭「たん熊」で修行をしたらしい。
海軍では、料理長として船に乗ったらしい。
奥さんの里、益田へと二人で来て、最初は屋台から出発したらしい。
そのころは、ラーメンでもチャーハンでも、何でも作ったらしい。
そのラーメン、豚骨と鶏がら出汁でのラーメンで、
今でも、その頃を知っている人から、懐かしまれているらしい。
子供ができたから、屋台は2年でやめて、店を構えたらしい。
最初は、いろんなものを作っていたけど、
忙しい割に儲けがないから、高級路線に転向したらしい。
なんでも、今の店は、高級グルメの店らしい。
お客は、東京、大阪、広島の金持ちで、
地元では、名士の人の店である、らしい。
昔は、山師もたくさん来て、喧嘩とかあって、
店のすぐ近くで、殺人沙汰などもあったらしい。
近くの高校の先生が、授業を補習にして、
昼ごはんを食べに来ていた時代もあったそうな。
今では、インターネットとか、雑誌とかに紹介されて、
全国でも有名な、うなぎ専門店になっている、らしい。
などなど、おばちゃんの独演会を聞きながら、うなぎを食べる。
旨い、旨い、旨いんだけど、量、多すぎ・・・・・
半分も食べないうちに、ギブアップ。
入れ物をもらって、そこにうなぎを詰めた。(↑写真)
正直、うな重ひとつをオットと半分ずつで十分かもしれない。
また来ます、と挨拶をしてから店から出た。
おばちゃん、店の外まで出てきて、
「気をつけて帰りなさいよ〜」って、手を振る。
はいはい、と頭を下げると、次は、
「さようなら〜」って、手を振る。
はいはい、と頭を下げ車に乗り込むと、次は、
「バイバイ〜」と、手を振る。
オットと二人、車に乗り、楽しかったね、おいしかったね、
と、ほんわか気分になる。
「また来たいねぇ〜」と私が言うと、
「早よ行かんとね。じいちゃんが生きとるうちに・・・ね。」
じいちゃん89歳、おばちゃん74歳のうなぎ屋でのはなし。