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実家に行って来た。
両親、弟夫婦、私たち二人、計6人で夕食を囲む。

以前は、私たち姉弟の子供たちもいて、
わいわいがやがやの食卓だったが・・・
今は、静かな食卓となった。

名実ともに、爺さんと婆さんの食卓。
歳をとったね・・・と笑う。

実家に行くときは、母に電話する。
夕飯を何にしたらいいかとパニックになり、ひとりで騒ぐので、
私が、こんなメニューにしたらと伝えるために。

日曜日だから、魚屋さんがお休みだからね・・・と母。
じゃあ、うなぎにしない?・・・と私。

それなら簡単! うなぎ屋さんで鰻と買えばいいからと母。
後は、焼きナスと酢のものぐらいでいいよ、と私。

夕飯。
前日に買った鯛、薄切りにして昆布〆にしたの・・・と母。
広い昆布に鯛をはさんで、巻き物みたいにぐるぐると。

こうするとね、鯛の刺身の水分が抜けて、
次の日でもおいしく食べられるのよ・・・と母。

他にも、ちょこちょこといろんな料理が・・・
決して贅沢な食材ではないが、ちょっとした料理がいろいろ。
うなぎだけでいいって言ったのに・・・
やっぱり、いろいろ気を使う母・・・

歳をとって料理をするのは、だんだん苦になってきたけど、
それでも料理が大好きだと言う。

朝ごはんも、いつの間に作ったの?と思うけど、
何品か並ぶ。

お昼も、お寿司屋さんの握りを買ってきたのに、
それだけで十分だよ、って言ったのに、
やっぱり、いつの間にか作った副菜が並ぶ。

小まめだな〜って思う。

今年も梅干しとラッキョウは漬けたと言う。
梅干を天日に干すときは、父と交替で「見張り」をしたと言う。
ねこが来るとイヤだから・・・らしいが・・・

とにかく、食べることに関しての私の情熱は、
この母からの遺伝子が強く影響していると思う。

そう言えば、母の母、私の祖母だが、
母が言うには、戦時中でも、お弁当のおかずは必ず3品。
質素なものだったけど、必ず3品あったと言う。

亡くなった祖母の思い出の一つに忘れなれない光景が。

今日は里芋を炊くから、と言って・・・
七輪に火をおこすとこからスタートして・・・
勝手口の外の七輪の前に椅子を持って行って、
里芋が炊けるまで、じっと火の番をしていたっけ・・・

京都の料亭で出てきてもおかしくないような、
ビューティフルと言えるような里芋。
それを作るのに、朝から数時間・・・里芋ひとすじ(笑)
そんな祖母だった。

私の食べ物に関する遺伝子は、
この辺りから受け継いだのだと思う。

しかしながら、どうも、雑多ないい加減な私の性格と相まって、
3人の中では、私が一番、いい加減なのは間違いない・・・

作るの食べるの、大好きな遺伝子に、感謝!