暑い夏が、8月が、原爆の日が近づくと思い出す話しです。

以前、このブログに書いたことです。
原爆の日の朝、広島から、同じ内容をお伝えします。

・・・

爆心地近くの原爆ドーム、
原爆前は、「産業奨励館」というモダンな建物でした。

そして、この付近、原爆前は、広島市一番の繁華街でした。
多くの人が住んでいました。

Sさんも、ここで生まれここで育ちました。

戦争中、まだ小学生だったSさん、学童疎開で田舎へと疎開しました。
8月6日、広島で何か大変なことが起こったという噂が届きました。

そして、終戦へと。

終戦になり、学童疎開していた子どもたちのところへと、
親が子供を迎えに来ました。
ひとり来て、ふたり来て、次々と子どもたちは親元へ帰りました。

Sさん、広島からの迎えの人が話すのを聞きました。
とにかく、普通じゃない大変な爆弾が落ちたということ。

8月の終わりになっても、Sさんは誰も迎えに来ませんでした。

そして、9月になって秋風が吹くころ、Sさんは子ども心に悟りました。
家族みんなが、あの爆弾で亡くなったんだということを・・・

わずか10歳の少年でした。

9月も半ば過ぎ、Sさんに迎えが来ました。
遠い親戚の人だったそうです。

う〜んと遠い昔の話しだけれども、
8月が終わって、ちょっと涼しい風の吹く9月の初めになると、
あの時の思いが、今でも、胸に迫ってくると。

ひとりになったんだ・・・と。

Sさんの話しぶりは、不思議なことに、怒りを伴わない話しです。
淡々と切なかった思いを静かに話されます。

10歳の男の子、ギャングエイジの男の子、いたずら盛りの男の子、
どんなにつらかったでしょうか。

また、その子を置いて一瞬のうちに亡くなった、ご両親、
どんな思いを残したのでしょうか。

8月6日が来ると、毎年思い出す話です。