暑くて、やれん・・・

そんな中、ふと、思い出したこと、以下。
昔ブログに書いたこと、再び。

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いじめの問題がいろいろと報道されている。
聞いていて、こころ痛むことばかり・・・

いじめがなくなれば・・・と願うばかりだが・・・
いじめがなくなることはないだろう。
世の中、いくつになっても、どの世界でも、いじめは存在する。

今、こんな時だから、
少しだけ、わたしの中学時代のことを書いてみたいと思う。

・・・

中2の秋、わたしは、父の転勤で転校した。

秋のよく晴れた日、新しい中学校に行った。
校長室で挨拶をし、担任の先生がわたしを迎えに来た。
ちょうど、中間テストの時で、その日は午前授業。
担任と教室に入った時は、帰りのホームルームの時間だった。

その教室、蜂の巣をつついたような状況。
とにかく、担任が入ってこようが、転校生がいようが、
一向にお構いなしの状態。

その中、わたしは紹介され、後ろの空いている席に座る。
学校給食の牛乳が配られる。

その牛乳を、口の中に含み、その辺りに口から噴き出す生徒、
それをあざ笑う生徒、同じようにやってみる生徒、
とにかく、全く統制の取れてない、これが教育の場かと唖然とする。

座っていた自分の足が震えていたのを、今でもよく覚えている。
変な話し、自分の足があんなに震えたのは、
人生55年になるが、後にも先にも、あの時だけ。
その震えは、衝撃とも怒りとも、なんとも説明できないものだった。

わたしが前に通っていた中学校は、
その県の中でも、一・二を争うほどの、荒れた中学校だった。
廊下のガラスは割られる、番長と言うヤツは存在する、
恐喝などもたびたび起こるような、そんな荒れた学校だった。

が、少なくとも、教室の中には、それなりの統制が保たれていた。
ワルと称されるヤツラも、いちおう先生には、それなりの遠慮があった。

だが、この新しい中学校には、そんなものは、全く存在しなかった。

ホームルームが終わり、学校の靴箱に入れる予定の上履きなど、
自分の持ちモノのすべてを、全部家に持ち帰った。

家に帰るなり、母に宣言した。

「学校やめた! あの学校は学校じゃない。明日から行かない!」

母が大慌てしたのは、当たり前のことだった。
前の中学校では、生徒会をしていたり、学級委員長をしていたり、
これまで問題を起こすなんてことは一度もなかった。

そんなだから、
次の学校も、当たり前のようにすんなりいくと思っていたようだ。

さてさて、そんなわたしの一言で、我が家はてんやわんや・・・
というか、母ひとり、あちらに電話をかけたり、こちらにかけたり、
あわてること、あわてること・・・

わたしは、以外にも落ち着いていた。
なぜならば、もう心に決めていた。絶対に行かない。
勉強なんて、独学でできる、と思っていた。
今考えると、なんとも生意気だが、その時は、マジ、そう思った。

中学校の校長先生から電話があって、
とにかく、一度話し合いをしたいから、一度来なさいと。

校長室には、校長、教頭、学年主任、担任、4人の先生がいた。

「いったい何がそんなにいけなかったのか?」と聞かれた。

わたしは、教室の中、あれは学校じゃない。
あんな中では、勉強なんてできない。
だから、絶対に、2度と、この学校で勉強はしない、と言い張った。

4人の先生方が、親切にいろいろアドバイスしてくれ、
説得してくれたけれども、わたしの心は決まっていた。

行かない。

その後、母と学校との間でいろいろ話し合いがあったみたいだ。
ありがたかったのは、
父も母も、そんな学校に、是が非でも行けとは言わなかった。

父などは、わたしが家で独学で勉強すると言ったら、
中学校内容ぐらいは、独学で学べる・・・
なんて、呑気なことを言っていた。

まあ、母は、わたしに対しては、そこまでは言いきれなかったけれども、
学校に対しては、常にわたしの立場に立って、話しをしてくれた。

その後、すったもんだがあった・・・

で、結果は、我が家から3番目に近い中学校に通うことになった。
1番目に近い学校が、問題の学校で、
その次に近い学校も、やや問題のある学校で、
3番目に近い学校は、近隣でも一番落ち着いた学校だったためだ。

噂の通り、その3番目に近い学校は、統制のとれた理想的な学校だった。
表面的には・・・

その学校に行くようになった、わたし。
ただ、そこでの学校生活は、必ずしも心地よいものではなかった。

何せ、20分でやめた学校(母はその後冗談でいつもこう言った)
その学校と新しい学校、すぐ近くだから、
わたしが、20分でその学校をやめて、今の学校に行くこと、
クラス全体が、すぐに知ることとなる。

そのことで、イヤなことをいっぱい言われた。
いじめ的なこともいっぱいあった。
いわゆる「シカト」(無視)をされた。

その時、心に思ったことがある。

「まともな学校じゃなくて、勉強など落ち着いてできそうになくて、
 そんな理由で、20分でやめた学校。
 少なくとも、今の学校は、落ち着いて勉強できる環境にある。
 だから、他のことは、すべて目をつぶってよし!としよう。
 いやなことを言われても、シカトを受けても、
 そんなことで、くよくよ悩まないようにしよう。」

中2のわたしは、心の中でそう思った。

ただ、思ったよりも、学校での生活は辛かった。
でも、自分に言い聞かせ、歯を食いしばって学校に行った。

そのうちに、そんなわたしを受けとめてくれるような友だちも現れた。
病気がちであまり学校に登校できない子とか、あまり勉強もできない、
いわゆる「落ちこぼれ」というレッテルを貼られている、
そんな子たちだった。

そのうちに、家の近くにある公共の図書館に行くようになった。
学校帰り、図書館に寄る。
午後3時ごろの図書館の学習室には、おもしろい人がいっぱいいた。

おもしろい、という表現が適切かどうかは、?だが・・・

病気で学校に行けない子、今でいう、心に病気のある子たち、
中学浪人でひとり高校受験勉強をしている子、
もちろん、大学受験を目指す浪人生、
それから、まともな世界からドロップアウトしたような大人、
そんな、世間から言えば、「負け組」のようなゆるい集団があった。

誰かと特に仲良くなったわけでもなく、ときどき話しをする程度。
ただ、これはありがたかった。
心の中の常にある鬱積のようなもの、それを掃き出す場所だったから。

このとき、大学浪人生とか、変な大人とかから、
いろいろな本を勧められて、図書館の本を片っ端から読んだ。
たいていは、わけのわからない哲学書のような類だった。
プロレタリア文学なんかも、○○かぶれの大人に勧められて読んだ。

図書館では、本を読んだり、勉強したり、
たまに、変なヤツらと、なんでもない話しをしたり、
そうやって、わたしの中学時代は終わった。

母は、母で、なかなか大変だったようだ。

学校区外の学校に通うことが、その市の教育委員会の目に止まった。
連日の電話、書類での呼び出し、などなど・・・

最初は低姿勢だった母も、最後は、戦う母になっていた。

「ちゃんとした学校ならば、娘はいつでも前の学校に行く!
 そんな学校になるように、教育委員会はしなさい!」

と、なんとも、母は強しである・・・

・・・

今問題になっている、いじめとは違う次元の問題かもしれないが・・・
だが、ひとつだ言えることがある。

「学校、無理して行かなくても、いいんじゃないっ!?」

親には親に言いたい。
「学校、無理して行かせなくても、いいんじゃないっ!?」

行かない決断をしても、
それで楽になるわけではない。問題が解決するわけでもない。
その後にはその後の葛藤もある。

でも、行かない、学校を変わる、そんな選択肢もある。

それに、あのゆるい図書館連合のような不思議な仲間、
そんな仲間がいる場所も、この世の中にはあると思う。
今では、NPOとか、学校じゃない集まりの場など、あると思う。

何かのヒントとなるかもと、
取りとめもなく、中学時代のことを書いてみた。