ロシア、サンクトペテルブルク、
ホームステイ先は、この階段を上がった一室。
キッチンの先、窓際には小さなラウンドのテーブル。
そこで、朝ごはん、夕ごはんを食べた。
シンプルな作りだが、必要なものは全て揃っていて、
かわいいキッチンだった。
ここで、週のうち、3〜4回、ホームステイ先にお母さんが、
ロシアンパンケーキを、朝ごはんに焼いてくれた。
そうそう、シリアルには、温めた牛乳だった。
⭐️42歳だったと思う・・・
ロシア語の夏休みプロジェクトにて、ロシアへと行った。
月〜金まで、ロシア語の学校に通ったが・・・
これが、なんとも不真面目な生徒だった・・・
で、ロシア語は、全くもって上達せず・・・
・・・そりゃ、ほとんどサボリで・・・
その代わりといっちゃなんだが、
ロシアンパンケーキの作り方だけは、しっかり取得。
建物の5階分ぐらい降りて行く、地下鉄のエレベーター。
こんなのを、二つ乗り継いで、やっと地下鉄乗り場。
核戦争になった時のシェルターになる、と聞いた。
サンクトペテルブルクの街自体は、すてきな街だった。
学校をサボり、日々、あちこち、自主勉強と称しての、
街歩きをした。
こちらは、街のスイカ売り。
この近所で、ラスプーチンが亡くなったと聞いた。
エルミタージュ美術館には何回も行って、
そのほかにも、気になる博物館などへ。
市場をのぞいたり、気になるカフェに寄ったり。
そこでも、ロシアンパンケーキを食べたが、
ホームステイ先のお母さんのパンケーキが、一番だった。
ホームステイ先のわたしの部屋。
ベッドの真ん中が凹んでいて、寝るの大変だった。
写真右の机、ベルベッドがひいてあったけど、
ここで、サボりながらも、宿題をした。
お勉強的には、ロシア語は、全くもってダメで・・・
でもでも、約1ヶ月間、街歩きには勤しんだ。
お気に入りのアイスクリームのお店、
アイスクリームを「量り」で、売ってくれる。
そうそう、赤ワインも、「量り」だった。
例えば、100ccください、とかで。
ロシアンパンケーキのことから、
ちょっと懐かしく思い出した。
⭐️⭐️⭐️
ロシアの人々は、誰もが親切だった。
困った時には、誰かが手を差し伸べてくれた。
満員列車の中、立っていたわたしに対して、
席を詰めてくれて(すごく太ったおばちゃんたちが)
そのおばちゃんの中に、ニッポンのおばちゃんは座った。
で、お菓子をくれたり、りんごをくれたり。
手作りのピロシキをいただたこともある。
コンサートの合間、コーヒーを飲みに行ったら、
手作りであろうお菓子(持ち込み!?)などを、
山ほどいただいたことも。
ロシアのダーチャ(別荘)に行った時には、
知らない人なのに、今からのバーベキューに参加しない?
って、誘われたりもした。
今、戦争で、この国に対してはいろいろな思いが・・・
でも、わたしは思うに、
普通の人は、あくまでも普通であって、普通なのだ。
早く、平和が来ることを願うばかりである。